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「自分」とは何者か?

「自分」とは何者かと考えて、早30幾何年か経つ。

つまり、オギャーと生まれた瞬間から自分が何者なのかはわかっていない。

 

他の人から見れば何不自由なく生きてきているように見えるが、生まれた時からの性分なのか悩むことが多い。

幼稚園児の頃から、この世で空気がなくなったらどうしようと眠れない日があったくらいだ。

元来の心配性なのだ。

今、幸せに暮らしているが未来のことを考えるといろいろと悩むものだ(夜中は早くから爆睡し、遅くまで寝ているけれど)。

子どもはしっかり健全に成長してくれるだろうか?

家族が不慮の事故や病気にならないだろうか?

将来のお金の算段は?

両親も年をとったなぁ・・・などなどと思えば、きりがつかない。

 

心配性なりに自分を守る方法は、「早めに行動する」ということだ。

みんなが驚くほど、早めに行動する。

しかしここまで読んでくださった方はもう察しがついたと思うが、尻すぼみになる。

早めに行動して8割弱くらい行くと、目的の日まで長いのでそこから気が抜けて最終的に10割にしないといけないところ8割ちょっとくらいの出来で落ち着いてしまう。

いや、8割もいっていないかもしれない。

いつもこのことで頭を悩ませるが、長年染みついた癖で直すことができない。

 

連れにはあまり悩みがないらしい。

私としては悩みがないことに驚いてしまう。

泣きながら勉強をしていたと言っていたが、大学でも漫画を読んだりダラダラとしている割に優秀な成績を収めていた。

一方、私はというと上記のようにかなり前から試験に取り組むがぱっとせず。

 

しかし、この連れのおかげで人生大分助かっている。

大学生の頃から試験の時は傍にいてくれて、励ましてくれる。

私が神経質に怒っても、いつも変わらない態度で接してくれる。

結婚してからも家庭をプレイングマネージャーとして指揮してくれる。

いつも頑張ってくれてくれるので、欲しいものでも買ってくださいというが欲しいものはないと欲もない。

どうも欲がないので、寒がりということもありモンクレールのダウンを私から買ってあげたくらいだ(モンクレールのダウンは暖かいと喜んでいたが)。

 

朝起きて「おはよう」と言うのも恥ずかしかったが、ようやく素直に「おはよう」ということができだした。

ここまでくるのに連れと出会ってから10年以上経った。

 

これからも一緒に頼みます。

 

話しはタイトルとずれていってしまったが、人生尽きるまでに自分が何者かわかる時が来るのだろうか。